日光と伊福部昭先生

日光市合併5周年記念演奏会「伊福部昭の世界」
開催記念HP特別企画

 2010年7月25日(日)栃木県日光市 日光市今市文化会館において、オール伊福部作品プログラム演奏会“日光市ゆかりの現代作曲界の巨匠”「伊福部昭の世界」が開催されました。

 終戦後、音楽で生活していくことを決意し、大学生時代からの親友であり、すでに映画音楽で活躍していた作曲家 早坂文雄氏を通じて映画会社 東宝との契約決定を受け、1946年8月16日、伊福部先生はそれまでの北海道札幌を離れ、御家族と共に上京されました。
 しかし、当時の東京は食料の窮乏、治安の不安定等で転入規制が敷かれていたため、さしあたり早坂氏の友人であるトロンボーン奏者“平山氏”が所有する山荘に御家族で住むこととなります。その山荘が有ったところが日光市 久次良でした。
 そのゆかりの地、日光市に於いてこれまでこのような伊福部先生特集の演奏会が開催されることはなく、これに際し今一度、日光と伊福部先生について掘り下げるべく、日光市 久次良および演奏会場のある日光市 今市ルポルタージュを御長男 極氏と共に行いました。演奏会会場への御案内も含め御高覧ください。

「日光ゆかりの、、、」の所以

 この度は、日光市の主催のもと「伊福部昭の世界」という冠を頂いた演奏会を、日光市今市文化会館で開催して頂けるという栄誉に当家は恵まれ、大変に感激、感謝をいたしている次第であります。
 
 僭越ながら、感謝の意味を兼ねまして「日光ゆかり」の所以を、当人亡き今、聞き及んでいる話をさせていただきました。
 
 終戦後、父と母は札幌を発ち、日本の首都東京へ向かったのですが、当時は直接には東京へ入れず、その経過として日光へまず移り住んだと聞いております。物資の乏しい時代であり、日光の冬は札幌よりも寒く、夏は雷が怖かった様で母は大変に難儀したようです。
 
 当時父は東京上野の東京音楽学校に職を得、日光市久次良から通っていたとの事ですが、2010年5月23日に出口寛泰さんと日光市久次良ルポに出かけた際、その場所まで東武日光駅からタクシーに乗ったところ1,340円掛り、好天の日に景色を楽しみながら散策してもかなりの距離を徒歩で通勤していたと言うのは事実のようでした。当時は、夜は街灯もほとんど無く森林官の経験が一番生かされたと自慢しておりました。
 
 この、日光市久次良にて第二子の次女が生まれる事になるのですが、どうも母の産後の肥立ちが悪かったようで、ここからは真偽の程は不明ですが、土地の人から勧められたと言う「猿の脳味噌」を煎じて飲ませた所快癒したと父は言っておりました。父と知己となった中国人の「王可之」さん(父が「管絃楽法」を献呈した人です)は、中国料理で一番上等、美味なのは「猿の脳味噌」とその食べ方を含めて父に吹き込んだ様で、信じていた父は病院で息を引き取る直前まで、食べる事が元気の元との考えに執着していたので、「猿の脳味噌」は、希望としてかなり優先順位は上の様でありました。
 
 この日光市久次良には芥川也寸志さんも東京からやって来られたようで、母は、当時若くバリバリの芥川さんがやってくると言うので、産後の肥立ちのこともあり、どうやら家事を手伝ってもらおう!!と思っていたけど、その思惑が外れたらしく残念との思い出として深く残ったようであります。後年、まだ携帯電話等は無く「自動車電話」とかいうもので、それこそ、即連絡が付かないと困る限られた者のみが、それを使用していた時代に、時間に遅れますと、何回も車から連絡して我が家に打ち合わせに駆けつけて下さった芥川也寸志さんに、玄関で開口一番!母が、あの当時は便利な自動車電話も無く苦労したし、手伝ってももらえなかった!と言って二人で楽しそうに笑って出迎えていたのを昨日の事の様に思いだします。
 
 見知らぬ土地から紛れ込んだ人間を親切に迎えて下さった日光市ですが、母は、行くなら箱根、伊豆も近くにあるのにと言って、日光の地を離れてから、学校行事の付き添いを含めても2回しか訪れていません。しかし、この度その日光市で自らのバレエの先生の作品でもある「プロメテの火」が含まれるこの演奏会、きっと苦労はしたのでしょうが今日はご機嫌でご自慢のポーズを取っていると確信しています。この演奏会の発端は、紛れも無く2006年6月18日宇都宮での山田令子・栃木交響楽団様の好演に対する再演を希望する声だと思います。この度は日光市の皆様方には、思いもよらなかった暖かいご厚意を頂き本当に有難うございました。
 
伊福部昭長男 伊福部極

「初めての家族旅行」記録とともに             ―日光 久次良ルポルタージュ―

世間一般に「家族旅行」の話題が盛んにされるようになった1956年、極氏が小学1年生の夏休みに、伊福部家で初めての「家族旅行」が行われました。
 行き先は伊福部先生の「それじゃあ、日光にしようか」の提案により日光巡りとなり、「小西旅館」(現・奥日光小西ホテル)を利用し、「久次良神社」かつての住まいであった「山荘」「日光東照宮」「中禅寺湖」(この間「金谷ホテル」のレストランでも食事をしたとのこと)を23日の日程で巡ることとなりました。

久次良神社

久次良神社はかつての住まいである「山荘」のすぐ近くにあり、境内の梵字が彫られた「久次良石」(当会で勝手に命名)は、上京後日光へ移り住んだ当時から有ったもので、伊福部先生と奥様もよく覚えており、この家族旅行の際も記念撮影をされています。(PHOTO by Akira IFUKUBE



 久次良神社には「味耜高彦根命」(あじすきたかひこねのみこと)が祭神として祭られており、併せて向かって左側に「伊勢神宮」、右側に「春日大社」と「稲荷大社」も祭られている。

 2006年12月、小杉放菴記念日光美術館において行われたピアニスト山田令子氏の演奏会のため日光を訪れた際、偶然にも「久次良石」を発見し喜ぶ御長男 極氏と御次女 姜子氏。


 久次良神社の境内から見える、山田令子氏が在学していたかつての県立日光高等学校(2005年に県立足尾高等学校と統合し、現在は「県立日光明峰高等学校」)の校舎。久次良神社から至近距離のところにあり、伊福部先生と山田令子氏との縁の深さが感じられる。


▲豊かな久次良の自然(PHOTO by Kiwami IFUKUBE)

山 荘

 久次良での住まい「山荘」では、「管絃楽法」原稿執筆、歌曲「ギリヤーク族の古き吟誦歌」、「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲」(「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」初稿)の作曲が行われ、初めての映画音楽担当作品「銀嶺の果て」初稿台本(初稿時タイトル「山小屋の三悪人」)を受け取り、そして、御次女 姜子氏が誕生されています。

 家族旅行でも「山荘」を訪れており、当初家族みんなで記念撮影をしようとしたところ、伊福部先生の「この旅行では、どうしても姜子と“生家”のツーショットを撮る必要がある!!」との強い主張により、この写真が撮影されました。(PHOTO by Akira IFUKUBE)

 姜子氏の表情が少々伏し目がちなのは、生来写真を撮られることを好まなかったことと、自分の生家がイメージと違っていたためのショック(?)のため。
 
 また、この「山荘」は東京音楽学校(現 東京芸術大学)での伊福部先生の講義に感動した芥川也寸志氏が訪れた(下記参照)ことでも有名であり、「山荘」が写されているこの写真は極めて貴重なものです。

 

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 ぼくには思い込むところがあって、「とにかくこういう先生につかなきゃ」と一途に思ったわけですよね、そのとき。それで二回目の授業のときに、先生につきたいから自宅へ行きたいといったら「私は日光に住んでます。日光まで来るのたいへんです」。
 ぼくは学校の総代とかいう世話役をやっていたんで、授業が終わってから学友会の仕事をして、夕方、浅草から東武電車に乗った。そのときは雪が降ってきて、当時の電車は電灯がつかなくて真っ暗なんですよ。窓という窓はガラスが一枚もない、板が張ってあったりして。それで日光へ着いたんですよね。着いたら真っ暗。大体、道を教わっていたんだけれども、山の中を手探りなんですよ。ポチッと光りが見えたんです。それ以外、光りがないから、そこだろうと思って・・・・・・。コンコンとドアをたたいたら、奥さんが出てきて先生が出てきて・・・・・・三日三晩泊り込んだんです。伊福部さんは自分の昔の「交響譚詩」だとかいろいろな作品のスコアを見せてピアノを弾いた。当時、食糧事情の非常に悪いときで、奥さんが苦労しておイモやなんかで今川焼みたいなのをつくって下さった。三日間も不意の来客で、さぞご迷惑だったろうと思うんですけれども。学校なんかすっぽらかしちゃって。

 

(「芥川也寸志 その芸術と行動」東京新聞出版局 収録“芥川也寸志、芥川也寸志を語る”より抜粋)

 

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 先の極氏の文章のとおり、久次良において姜子氏出産後、産後の肥立ちが悪かった奥様に「猿の脳味噌」を平たく乾燥させた物(板と板との間に挟み軒先に干して乾燥させる製薬方法。「熊の胃」「キツネの舌」と同じ製法と話されていたとのこと)を煎じて飲ませたところ(いわゆる“ゲテ物”を嫌う奥様に、何かしら真実とは異なったことを伝えて飲ませたため、終生そのことについて伊福部先生は叱られていたとのこと)快方へ向かい、子育てにも手が回るようになり、姜子氏が無事に育ったという説明後、伊福部先生の「この旅行では、どうしても姜子と“猿”のツーショットを撮る必要がある!!」との強い主張により撮影された、久次良生活当時キュウリをよく頂いたというご近所さんの庭に飼われていた猿とのツーショット写真。(PHOTO by Akira IFUKUBE)

日光東照宮・中禅寺湖


▲日光東照宮「三猿」にて(左)/「神橋」にて(右)


▲日光東照宮「五重塔」にて

▲中禅寺湖においての家族写真

日光東照宮 参道にて


伊福部先生ゆかりの地、日光にも是非お立ち寄りください。