・ここでは、伊福部先生が、1983年12月出版の「東宝特撮映画全史(東宝株式会社 刊)」に寄せた文書を(株)東宝様の御諒解を得た上で全文掲載致します。

・伊福部先生が特撮映画の音楽に関してインタビューを受けた記事は多いものの、御自身が執筆されたものは大変少ないと思いますので、掲載致しました。御高覧下さい。

特撮映画の音楽
伊福部昭

 

 映画というメディアが生まれてから今日までの長い間に、映像と音楽は特殊な関連をもつものとなった。色彩をもった動く映像と音楽との結合が生む相乗効果は、古くからあるサルスエラ、オペラ、バレエ等に於ける場合とはいささか異なったものとなった。
 私が映画の音楽に関わってから三十数年、その間種々なジャンルの映画に参画したが、「ゴジラ」をはじめとする一連の特撮映画は、私の印象にとりわけ強く残っている。
 ここでは、特撮映画の音楽をめぐって、とりとめのない思い出を書いてみたいと思う。
 私が初めて映画の仕事をしたのは、終戦直後の昭和22年のことであった。
 それまで私は北海道庁の地方林課に務め、道東の汽車もない海辺の寒村に暮らしていたが、大戦末期には、戦時科学研究員として、宮内省帝室林野局林業試験場で航空機などに使う強化木の実験に携わっていた。  この研究はマッカーサーの上陸後、数日目に禁止となった  
 途方に暮れている時、夏目漱石の高弟である小宮豊隆氏が芸大の新しい学長となり、この先生が私のオーケストラ作品をヨーロッパ、スカンジナビア等で聴かれ強く印象に残っておられるとのことで芸大の作曲教師としての招聘があった。これを引き受けて間もない頃、東宝のプロデューサーであった田中友幸さんから映画の仕事を頼まれた。「山小屋の三悪人」という奇妙な題であったが、これは恐らく私が山林官で山奥の生活を知っているだろうということであったのだろうと思っています。
 この奇妙な題名の作品は翌年「銀嶺の果て」と変更されて公開されました。これが私の最初の映画の仕事です。
 その翌年、東映映画「俺は用心棒」で知り合いとなった月形龍之介さんと二人で撮影所の近くにある小料理屋の二階で炬燵で酒を汲みかわしていると不意に客人が現れた。月形さんは「又、貰い酒か」といやみを言ったが、客人は別に気をとめる風もなく、ニコニコとして私達の酒席に加わり、甚だ瓢逸、洒脱な話をし延々と大飲したのであった。その客人は、言うならば不遇の時代とでも言うのであろうか、どの映画会社にも所属していないような話ぶりであった。映画に関係のある人ということは分かったが、仕事も名前も分からなかった。
 それから5年後、東宝で「ゴジラ」の打ち合せの時、特撮監督円谷英二として現れたのがこの客人であった。二人とも、その奇遇に驚いたのであった。
 そんなこともあったので円谷さんは特撮について色々と内緒の話をして下さった。「現在、最も小型で強力な電気モーターはジュースのミキサーに使われているもので、今度はこれを用いるつもりだ」とか話されたのが印象深い。
 さて「ゴジラ」は言うまでもなく日本最初の本格的な怪獣映画だったので、私をふくめ、スタッフ全員が全くどういう映画になるのか分からぬまま製作が始められた。「G作品」なる台本をいただいたが、ゴジラという怪獣はその当初、諸説乱れて何やら分からず、ただ身長50メートルもある大怪獣だということだけが分かった。やがて、中世代のイグアノドンのような爬虫類で背にはステゴザウルスのような突起があるということが分かった。
 特撮監督の円谷さんは最終のラッシュになるまで、特撮シーンは全く誰にも見せない人で、ラッシュの時も特撮の部分だけ白くぬいておくということを平気でやるのであった。
 ラッシュの時、画面の山頂を指さして、『あそこの頂きからグワーという感じでゴジラが顔だけ出すんだよ』なぞと言って私達を煙にまくのであった。これがゴジラの最初の登場であるが、音楽の書きようがない。
 とにかく、とほうもなく巨大で凶悪な爬虫類であるという以外、何の手掛かりもないままに曲を書かねばならなかった。
 巨大で強力で、その上、恐怖そのものの怪獣、観客に不安を与えるような音楽を書いてほしい。又一方、自衛隊の出動には軽快で勇壮なマーチがいいなぞとスタッフから種々の意見が寄せられるのであった。
 しかし、何といっても「ゴジラ」で一番苦労したのは、実在しない怪獣の鳴き声の創造であった。第一に、現存する爬虫類は鳴かない。
 スタッフが集まって色々とアイデアを出し合うのだが、仲々いい考えが思いつかない。
 動物園で五位鷺や巨獣の鳴き声を録音し、回転数を変えたり種々工夫するのだが、鳥の声はあくまでも鳥類であり、巨獣の声はどうしても哺乳類を思い起こさせるのであった。ゴジラは冷血動物なので、最終的に考え出されたのは完全に人工的な方法で、コントラバスの低音絃の縦振動であった。
 コントラバスの低音絃を絃巻(ペッグ)からはずし、この絃を松脂を塗った皮手袋で縦にしごくのである。しごく速度と強さに伴って種々な音色が得られる。これをテープにとって、更に操作を加え、あの声が生まれたのである。
 以後、怪獣の声はたいていこのパターンで創るようになった。
 「ゴジラ」の大ヒット以来、怪獣映画も段々と複雑になり、初め一匹ものが二匹になり、又怪獣の種類も増して千差万別となり、更にこれらが互いに争うという始末で、一応は怪獣ごとにモーティフを変えようと努めるのであるが、いずれも大型で動作が鈍く変化をつけるのが大変であった。
 中でも「キングコング対ゴジラ」の時の大ダコには全く弱りきった。円谷さんは本物のタコをアップで撮ったのでその迫力はすさまじいものであった。軟体動物の頭足類と出られては音楽家には手も足も出ない。これには無調の12音階と、コンボオルガンやミュジカルソーのグリッサンドを混用したが、その効果があったかどうかは疑わしい。

 

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 さて、特撮映画を幾つか手がけて感ずることが一、二あります。
 一般の映画にあっては、時に、納得し難い観念的な誤った芸術論に悩まされることがあるものですが、特撮映画にはこれが殆んどない。
 又、余りドラマトゥルギーに支配され過ぎると、音楽はその自律性を失い次第にスポイルされて行くのであるが、この危険もなく音楽家はのびのびと仕事が出来ます。
 本来、音楽は音楽以外の何ものも表現し得ないものなのですが、スクリーンに映し出された映像と結合した時、効用音楽としての不思議な効果を生むことがあるように思われます。音楽としての自律性を失わずに、そのような効果を万全に利用出来るのが特撮映画音楽の特質の一つであると考えています。
 誤解があっては困るのですが、今日、テクノロジイが発達し過ぎたためか、映像も音楽も余りに無機質に流れ過ぎ、次第に人間性から遠のきつつあるように見受けられます。
 現在、この精神の荒廃が叫ばれている時、もっと本来の人間性にたちかえった特撮映画の復活を望んでやみません。

 

東宝特撮映画全史. p64-65. 1983. 東宝株式会社出版事業室 東京