伊福部昭(いふくべあきら) 略歴

1914年5月31日北海道釧路幣舞町にて父利三、母キワの三男として生まれる。
伊福部家は大己貴命(オオナムチ=大国主(オオクニヌシ〉)を宗祖する因幡の古代豪族であり、武内宿禰(たけのうちのすくね)を祭る、因幡國一の宮・宇倍神社の神官を明治維新に至るまで代々務めてきた。伊福部家は昭の代で67代続く家系である。

1923年夏、9歳の時、父利三が官選村長として音更村村長に就任(任期は3期12年に及んだ)したのを機に家族と共に音更に移り、音更尋常小学校4年に編入した。
音更ではアイヌと親しく交流するようになり、この時接したアイヌの歌や踊りをはじめとする伝承芸能、各地から集まる開拓者が歌う様々な民謡により自身の音楽の原体験を得、特にアイヌの叙事音楽「シノッチャ」からは生涯忘れえない深い感銘を受け、同時にその後の作曲家としての人生に決定的影響を与えたという。
この頃よりヴァイオリンやギターを独習しはじめる。

13歳の頃から作曲を独学で勉強するようになり、1933年「ピアノ組曲」を作曲(1938年、ヴェネチア国際現代音楽祭に入選)。

1934年、三浦淳史(後の音楽評論家)、早坂文雄(後の作曲家)らと「新音楽連盟」を結成。

 
猶、三浦淳史とは札幌二中(現 札幌西高)在学中に出会い、作曲を勧められ、密かに作品の創作を始めたという。伊福部は三浦のことを称して、「(自分を〉作曲と言う地獄に陥れたメフィストフェレスである」と揶揄する。
 
又、同じく札幌二中時代には、同級の船山馨(後の作家)、一級上の佐藤忠良(後の彫刻家)と出会い、共に絵画クラブ「めばえ会」属し展覧会などを行い、伊福部は主に静物画を描いていたという。
後の伊福部の言では、作曲家にならなければ絵描きになっていた、とも言い、独特のイラストレーションの才能はこの頃養われていたものであろう。
 
同年9月30日、新音楽連盟主催「国際現代音楽祭1934」を開催。
自身もヴァイオリンを演奏し、この演奏会で、エリック・サティ作曲「右と左に見えるもの(眼鏡無しに)」、「3つのグノッシェンヌ」、「気取りやの気むずかし屋の3つの特異的ヴァルス」、「新婚者の起床」
エルヴィン・シュルホフ作曲「無伴奏ヴァイオリンソナタ」
ルイ・グリュンベルク「弦楽四重奏のための4つのインディスクレーション」
アルフレッド・カセルラ「弦楽四重奏のための5つの小品」
ピエール・オクターブ・フェルー「ノンシャラント(組曲モンソウ公園にて第3番)」が日本初演される。

1935年、北海道帝国大学農学部林学実科を卒業後、帝室林野管理局森林官吏となり、地方林務官として厚岸の森林事務所へ調査造林係補助・作業助手として配属される。

同年、チェレプニン作曲コンクールに応募した初の管弦楽作品「日本狂詩曲」がパリにおいて審査員アルベール・ルーセル、アレクサンドル・タンスマン、アンリ・ジル=マルシェ、アンリ・プリュニエール、ジャック・イベール、ティボール・ハルシャニー、ピエール・オクターブ・フェルーらの満場一致を得て第一位入賞。

翌1936年、ボストンにおいてフェビアン・セビツキー指揮、ピープルス交響管弦楽団により「日本狂詩曲」が初演される。
同年7月、来日中のアレクサンドル・チェレプニンを訪ね、横浜にて約一ヶ月間作曲法・管弦楽法のレッスンを受ける。

その後引き続き森林官として厚岸で生活を送り、1937年「土俗的三連画」を作曲。

1940年、林務官を辞し札幌において北大演習林事務所、45年からは札幌豊平の帝室林野局林業試験場に勤務する。
        ▲伊福部先生書斎(撮影;山口征彦、提供;伊福部家)
        ▲伊福部先生書斎(撮影;山口征彦、提供;伊福部家)

この間、委嘱に応じ作品を発表し1943年には「交響譚詩―亡兄に捧ぐ―」が日本ビクター主催第二回管弦楽曲懸賞に第一位入選。
同曲を収録したSPレコードには文部大臣賞が授与される。

1946年、栃木県日光・久次良に住まいを移す。9月、校長の小宮豊隆の求めに応じ、東京音楽学校(現・東京藝術大学)作曲科講師に就任。以後1953年まで務める。


1947年、東京都世田谷区に移る。映画「銀嶺の果て」(谷口千吉監督作品)より映画音楽を手掛け、音楽担当作品数は300本を越える。

1952年、前年作曲の「ヴァイオリンと管弦楽のための狂詩曲」がジェノヴァ第2回国際作曲コンクールに入選する。
 
1954年、生涯の代表作と言える、「タプカーラ交響曲(シンフォニア・タプカーラ)」(79年に改訂版を発表)を作曲。また、映画「ゴジラ」の音楽を手がける。

1974年、東京音楽大学作曲科教授に就任。76年、同大学学長、85年、同大学民族音楽研究所所長に就任する。

これまで先の東京音楽学校、東京音楽大学、その他公私に渡り数多くの音楽家を育成し、中でも最初期の教え子にあたる作曲家、芥川也寸志、黛敏郎、奥村一、小杉太一郎、山内正、松村禎三、池野成、今井重幸、原田甫、永冨正之、眞鍋理一郎、三木稔、石井眞木らによって「伊福部昭古弟子会」が構成された。

1980年、紫綬褒章、87年、勲三等瑞宝章を授章。
1996年、日本文化デザイン賞大賞を受賞。
2003年、文化功労者顕彰。

著書:「音楽入門」1951年 要書房、「音楽入門」(改訂版)1985年 現代文化振興会、「音楽入門」(新装版)2003年 全音楽譜出版社、「管絃楽法」1953年 音楽之友社、「管絃楽法 上巻`68増補版」1968年 音楽之友社、「管絃楽法 下巻」1968年 音楽之友社

2006年2月8日歿 従四位に叙せられ、陛下より銀杯を賜る。
 文責;伊福部昭公式ホームページ設立準備会 
▲伊福部邸(曼珠沙華咲くころ)