「郷 愁」
交声曲“大いなる故郷石巻”の草稿を手に石島恒夫氏が私の家に見えられたのは今年の始め、未だ正月の門松もとれぬ頃だった。
故郷の祝典のために書き綴られた石島氏のそれは、石巻の遠い歴史、美しい景観を実に明解な詩をもって唱い上げ、彼の故郷石巻への愛情の深さをひしひしと感じさせる立派なものだった。
彼のひた向きな情熱に私は打たれながら、約半歳有余に渉る私自身の能力の結集と苦しい戦いが始まったのです。
現代の複雑な社会に対応するために一番必要な神経の図太さを私は悲しいことに持ちあわせがないので、故郷の祝典のためという心理的な重圧感に、ただでも遅い私の筆はますます遅くなり、各方面の方々へ大変御迷惑をおかけした事をお詫び申し上げます。
この作品のみに没頭することが許されない私の作曲生活ではあっても、運転する自動車の中でも、ふと幼ない頃遊んだ長浜の砂を思い出し、裏の田ん圃で、“たっぺはしり”に興じた冬休みを思い、のど自慢の祖母がよく唱ってくれた“さんさ時雨”“餅つき唄”そして馬に乗って長持唄にゆられながらお嫁に行った従姉のことなど。とどまる事のない石巻への郷愁は、私の脳裡から消える事は出来ないでしょう。
そして又、今日この会場に見えた人々が、何十年後の石巻の人々へ石巻の輝やかしい歴史を伝え、深く遠い足跡を残し“大いなる故郷石巻”に一段と重厚さを加えて行く事を信じます。
小杉 太一郎
この「カンタータ大いなる故郷石巻」初演に込められた
郷土愛、故郷を想う「熱」が、いま解き放たれ、
復興へと向かう方々の「気」を僅かでも後押しできることを心より願います。
~収録内容~
朗読 一 (1:12)
第一楽章 日高見 (11:26)
朗読 二 (0:46)
第二楽章 たたら火 (13:27)
朗読 三 (1:07)
第三楽章 雄 図 (16:24)
朗読 四 (1:05)
第四楽章 祝 祭 (12:06)
作曲 小杉太一郎、 作詩 石島恒夫
指揮 小林研一郎、 管弦楽 東京交響楽団
独唱 伊藤京子(ソプラノ)、 友竹正則(バリトン)
朗読 山内 明
合唱 石巻合唱連盟
録音 1973年11月4日 石巻市民会館
Salida DESL-005 MONO DIGITAL REMASTER
¥2.000(税・送料込み)
※ 本CDの全売上益は東日本大震災復興義援金へ寄付させて頂きます。
※ 売上益の集計結果は「集計報告」ページを設けお知らせして参ります。
父の想い出など カンタータ「大いなる故郷石巻」CD化に寄せて
静かなその父はしかし、故郷に熱い心を注いだ。その眼差しは家族に向けられたものとほぼ同じだったように思う。いずれ故郷を去ることが分かっていた息子(私)に父は故郷の海をよく見せた。美しいリアス式の海岸線をいったい何度、私は父の車で走ったことだろう。
「ここが月の浦だ」。
支倉常長がローマに向けて出帆した美しい入り江。
「あそこでクジラを解体する」。鮎川ではそのクジラを狩る漁師たちの姿を私に伝えた。
いつも、帰り際には、「女川」でその日の食卓に乗る魚を父は選んだ。その父の嬉しそうな表情を忘れない。売り手と買い手両方が湛える満面の笑みは、この土地の自然の恵みと人の心の豊かさ故のものだっただろう。
「海は大丈夫だ。そしておれたちの心も!」
作曲家・桐朋学園大学教授
石島 正博
石島 恒夫氏
桜色のやさしさ
やがていくつもの季節が過ぎて、みんなのマドンナだった叔母は、小杉太一郎という男性を伴侶に選んだ。それから彼は私の「太一郎おじちゃん」になった。
昭和29年、東京に移り住んだ我が家と、「太一郎おじちゃん」の家は二駅ほどの距離。三人の子ども達に恵まれ、仕事に恵まれ、楽しい趣味の仲間に恵まれて、小杉家は順風満帆。その幸せの中に「太一郎おじちゃん」は、いつもさり気なく、私を誘い入れてくれた。
私が成人してからの一時期、事情で我が家は母と祖母と私、女三人だけの暮らしとなったことがある。夕食が終わったころ、「太一郎おじちゃん」は時々ひょっこり一人で現れて、あり合わせの茶菓子と渋茶で、何気ないおしゃべりを心から楽しんでくれた。「もう遅いから、帰ってきなさいよ」と叔母が電話してくることも何度かあった。姑の家を娘ぬきで訪ねてくれる娘婿は、そうはいないだろう。祖母はどんなに嬉しかったことか。結婚して私はあらためて彼のやさしさが身にしみて分かった。
今までの人生の中で私は「やさしい人」にたくさん出会ってきた。でもその中で一番はと聞かれたら、小杉太一郎という人を思い出す。彼らしいやさしさで、石巻への思いを表した渾身の作品「カンタータ大いなる故郷石巻」。この作品で被災地の復興に協力できることを、彼がどれほど喜んでいるだろうかと思うと、胸が震える。
山内 明 長女