・ここでは伊福部先生が、毎日新聞1953年(昭和28年)8月2日夕刊「茶の間」欄に寄稿したものを、伊福部家の御諒解の許、全文掲載致します。
・伊福部先生の映画音楽語法というと、よく「映画音楽の4原則」といわれるものが俎上に上がりますが、この文書では、やはり映画音楽技法の一つとして仰られていた、役者と音楽についての考察をウィットに富んだ表現で述べられております。伊福部映画音楽を違った側面から鑑賞する一助として、御高覧下さい。
・また、肩書きに「東京芸大教授」とありますが、伊福部先生はこの年、東京芸大作曲科講師を辞任しておりますので、その前後の文書と考えられます。
・転載に際し、一部体裁を改めさせて頂きました。また、明確な誤植は訂正させて頂きました。

長面頌

(ながづらしょう)


伊福部昭

 

 映画なとの音楽を書いていると、時に妙なことに気付くものである。
 映画の音楽には、普通三、四十人のオーケストラを用いるのであるが、この芸術家たちの力の結集は恐ろしいもので、その全員の合奏による強音を使用すると、演技力の無い役者は、大写しにし、また如何に力んで見ても、簡単に画面からフッ飛んでしまう。だから、作曲者は、ヒソカに役者の能力を算定して、使用する楽器の数と種類を決めなくてはならない。またこの現象は、顔の型にも関係があり、それには一種の法則があるらしい。
 古来、わが国では、一瓜実に二丸顔、三平顔に四長面という厳然たる序列があって、それによって採点する慣しであった。近代になって、丸型が何時とはなく第一位にのし上ったが、音響実験によれば、その第一、第二の争いは兎も角として、第三位までは全部落第で、逆に最下位とされている長面だけが、よくオーケストラの全奏に対抗し得るのである。
 日本でも、悲劇の多い歌舞伎などでは、長めの顔が重用され、西欧でも重い主役は、皆、長い型であった。「ハムレット」「ファウスト」「ドン・キホーテ」等が丸くてはうつりが悪く、一方、童話の主役が長い顔では困るのである。どの辺から長面と認定すべきか、その基準が問題となるが、それはさておき、何故、このような序列の変動が起きたのだろう。童話のような創国の歴史を現実の歴史と思い込み、生活も、政治も、童話的に単純だった時代は、その
類型である卵子型が美の規範となり、長い型は、何やら暗く、また悲劇的に過ぎるように思いなされたのでもあろう。
 だが時代は変った。喜びは姿を消し、のがれることの出来ない不安と、陰ウツが私達の日常をとりまいている。だから、このような生活を土台としている現代では、悲劇の類型である長面でなくてはオーケストラの音量と勝負が出来ぬのである。思えば、我々も、知らぬ間に、深い悲劇の時代に身を置いているものである。(東京芸大教授)
 

 

1953.8.2 毎日新聞夕刊 東京