長面頌
(ながづらしょう)
伊福部昭
映画なとの音楽を書いていると、時に妙なことに気付くものである。
映画の音楽には、普通三、四十人のオーケストラを用いるのであるが、この芸術家たちの力の結集は恐ろしいもので、その全員の合奏による強音を使用すると、演技力の無い役者は、大写しにし、また如何に力んで見ても、簡単に画面からフッ飛んでしまう。だから、作曲者は、ヒソカに役者の能力を算定して、使用する楽器の数と種類を決めなくてはならない。またこの現象は、顔の型にも関係があり、それには一種の法則があるらしい。
古来、わが国では、一瓜実に二丸顔、三平顔に四長面という厳然たる序列があって、それによって採点する慣しであった。近代になって、丸型が何時とはなく第一位にのし上ったが、音響実験によれば、その第一、第二の争いは兎も角として、第三位までは全部落第で、逆に最下位とされている長面だけが、よくオーケストラの全奏に対抗し得るのである。
日本でも、悲劇の多い歌舞伎などでは、長めの顔が重用され、西欧でも重い主役は、皆、長い型であった。「ハムレット」「ファウスト」「ドン・キホーテ」等が丸くてはうつりが悪く、一方、童話の主役が長い顔では困るのである。どの辺から長面と認定すべきか、その基準が問題となるが、それはさておき、何故、このような序列の変動が起きたのだろう。童話のような創国の歴史を現実の歴史と思い込み、生活も、政治も、童話的に単純だった時代は、その
類型である卵子型が美の規範となり、長い型は、何やら暗く、また悲劇的に過ぎるように思いなされたのでもあろう。
だが時代は変った。喜びは姿を消し、のがれることの出来ない不安と、陰ウツが私達の日常をとりまいている。だから、このような生活を土台としている現代では、悲劇の類型である長面でなくてはオーケストラの音量と勝負が出来ぬのである。思えば、我々も、知らぬ間に、深い悲劇の時代に身を置いているものである。(東京芸大教授)
1953.8.2 毎日新聞夕刊 東京