・ここでは、伊福部先生が学長を務められていた、東京音楽大学の学園祭である「芸術祭」のパンフレットに寄稿された挨拶文を、伊福部家に残されていた、芸術祭パンフレットを基に、伊福部家の御諒解の上で全文掲載致します。
・伊福部家に残されていた芸術祭パンフレットは、第16、17、19~21回の5回分です。
・基本となる文書は共通してはおりますが、御長男極氏によると、「学生さんに頼まれたものだから」といって、真剣に文書を考えていた様です。その結果か、毎回アラゴン、パスカル、ゲーテ、シラーなどの格言を用いており、伊福部先生らしい味わい深い文書となっております。
・短く、しかも挨拶文ですが、伊福部先生の学生への暖かい眼差しが感じられる文書ですので、敢て掲載することに致しました。御高覧下さい。
芸術祭への挨拶
第十六回芸術祭(1979年)
あいさつ
今年もまた、恒例の芸術祭を迎えることとなりました。
種々な催しが行われますが、その全てが学生諸子の自発的な発想と努力によるものです。このことは、極めて重要なことがらと考えられます。
本学のように芸術を専攻する学生諸子は、自己を深めようと努力する余り、特定のもののみに関心が向けられ、他を顧みるのいとまなく、孤立して交友を失い、えてして、視野の狭められる傾きがあります。
芸術祭とは、同輩の日頃の研讃、研究、あるいは新たな発想等を互いに学びあう場ですが、これと同時にそれらを通じて、先輩、教師などの隔てなく、広い範囲の交友と理解を得るための場でもあるのです。
この学生時代に生まれた友情、共感、啓示は、その純度と密度の点で、この時代を措いては再び求めることの出来ないものなのです。
芸術祭は数日で終わるでしょうが、ここに生まれた友情と共感は、時と共に成長してかけがえのない価値を生むものなのです。
今回の芸術祭が、このような点で、大きな意義のあるものとなることを心から願って止みません。
東京音楽大学々長 伊福部 昭
第十七回芸術祭(1980年)
あいさつ
今年もまた恒例の芸術祭をむがえることとなりました。
日頃、種々な制約のもとにある学生諸子が、これを離れて自発的に発想した種々な催しものを見られることは、何にもまして楽しみなことです。又、本学のように芸術を専攻する学生諸子は、得てして他を顧るのいとまなく孤立して視野のせばめられる傾きが多いのですが、この機会に友人達の自由な発想を互いに学びあい、真の理解と友情を深めてほしいと思う。
学生時代に生まれた友情と共感は、この時代を措いては再び求めることの出来ない純度をもつものなのです。又、この機会に少し羽目を外して見るのも許されるかも知れない。アラゴンは「人生にとって上機嫌は必要である。」とも言つています。
いずれにしても、この芸術祭が実り多いものであることを願って止みません
東京音楽大学学長伊福部 昭
第十九回芸術祭(1982年)
~なやまん象になりなさい。~
あいさつ
今年もまた、恒例の芸術祭を迎えることとなりました。
これは、日頃、何かと拘束の多い受身的な立場にある学生諸子が、これから離れて、自発的な自由な発想によってとり行われるもので、どのような点に主眼がおかれるかが、毎年楽しみの一つとなっています。
今年のテーマは『なやまん象』と云う由ですが、これは、本学の寮のある野尻湖が、パラエオロクソドンのナウマン象化石の有名な出土地であることからの着想だろうと思われます。
その他に、種々な思いも交錯してはいるのでしょうが、それにしても、このようなテーマに一致した学生諸子の心情が偲ばれてなりません。
パスカルはパンセの中で、『心情には理性にはない一つの道理がある。』と云っていますが、そのことが、この度の催の中でどのように具現されるのでしょうか。
いずれにしても、若い時代の精神の燃焼には、再び求めることの出来ない純粋さと、又、はかり知れない意義が隠されているものです。催しの成功を心から望んで止みません。
東京音楽大学学長伊福部昭
第二十回芸術祭(1983年)
~はよう あつまらんかい~
あいさつ
芸術祭とは、日頃、種々な拘束の下に受身の立場にある学生諸子が、その制約を離れて自発的に自由な発想でとり行われるものなので、毎年、その思考の動向が偲ばれまことに楽しみです。
今年は、『全員参加』が主題であると云う。
これは、普段、余り交渉のない立場にある学生同士が出来るだけ多く互いに異った個性に接し、多くの刺激を受け合う機会をもつことが目的と思われます。
諸子の年代に、このような刺激を受け合うことは、思わざる自己の開眼や、又極めて純粋な共感につながるもので、その意義の深さには計り知れないものがあります。
ゲーテは『詩と真実』の中で『青年は教えられることより、刺激されることを欲する。』と述べていますが、これはその辺の消息を物語っているに他なりません。
この度の催しが、そのような点で、意義深いものとなることを願って止みません。
東京音楽大学学長 伊福部 昭
第二十一回芸術祭(1984年)
~"あなた" じっと見ていられますか~
あいさつ
今年もまた、芸術祭を迎える季となった。
これは、日頃、種々な拘束の下に勉学に追われている学生諸子が、しばらく、これを離れて、自主的な自由な発想によってとり行われるものなので、年毎に、史々異ってはいるが、そこに底流している思考が偲ばれて誠に楽しみである。
シラーは『人は遊ぶ時のみ、まさしく人間である』と述べていますが、この一見、遊びに近い催しこそ、実はまさしく人間的なものであって、このような時にこそ、普段は互に見えなかった本当の人間性が顕れ、そのことによって、純度の高い共感や友情が生れ、又、その刺激が自己開眼につながったりするものなので、その意義の深さには計り知れないものがあります。
これは極めて重要なことなのですが、そのような点で、この第二十一回芸術祭がより意義深いものとなることを願って止みません。
東京音楽大学学長伊福部昭
東京音楽大学芸術祭プログラムパンフレット より