日常生活の美
伊福部昭
 
 生活の美感と云うものは、どうも幼少の頃の環境に影響されるもののようである。
 もの心のつき初める頃から、私はアイヌがシャアン・ルル(大洋)と呼ぶ北海道中部の高原で育った。名の如く見渡す限りの草原で、冬になっても枯葉の落ちない柏が、僅かに、河のほとりや奥地に林をつくっている程度であった。
 そこには、未だアイヌが沢山住んでいて、生活の様式も私達と混淆していた。彼等は、熊祭りは云うに及ばず、火事だと云っては踊り、家を建てると云っては踊り、生れたと云っては踊った。又、病人が出来るとハンモックの様なもので吊し、これを揺り動かして、唄とも祈りともつかぬものを始めるのであった。今思えば、異国の様でさえある。
 この様な行事のない時、私達少年の遊びは、窪地に石器を探しに行ったり、魚を採ったり、又、動物を捕えて殺し、これを食べて了うことであった。特に、私は其の様な遊びが好きであった様に思う。しかし、動物を捕るにはなかなか秘法があって、これを学ぶには、不思議な一種の聖水を飲んで、餓鬼大将の家来とならねばならなかった。この聖水はカナンチョ水と呼ばれた。
 トカゲと蚯蚓と蛙を瓶に詰め、棒で突ついてから谷川の水を注ぐのであるが、この爬虫類、両生類、蠕虫類のオヨソ気味の悪いスープを飲まぬことには、家来として其の日の遊びに参加は出来ぬのである。この聖水を狩の度に相当量飲まねばならぬことは、可成りの苦行であったが、私の場合、潔癖の治療に大きな効果があった様に思う。後に、私が大将級に昇格した時、この暴力を大いに逆用したものである。
 又、男女の交際にも一風変った習慣があった。春早く、南面の草地が乾き初めると、そこに赤線区域が設定され、十四五歳の少女が年下の少年を相手に開業するのである。花代は一銭で、唯相手に一寸接触するだけでまことに意味をなさぬものではあるが、一銭を握りしめて、草原を現場に赴くのは少年には異常なスリルであった。花代を渡す時、握りしめた銅貨は汗を帯び、未だ肌寒い早春の大気の中で白い湯気が立ち昇るのであった。翌日は、学校でこの昨日の娼婦と顔を合せて勉学にいそしむのである。
 然し、生活を取巻く総てがこの様に原始風であった訳ではなく、農地では既に、トラクターが使用され、一日にして広大な畑地が耕されて行った。このことは、私の中に機械に対する一種の憧憬のようなものを育て上げた様である。
 この様に両端が共存していたが、日常の生活は、足場を大地にもっていて、今の様に実生活と生活意識とが分離するというようなことはなかった。トカゲを殺すにしても、何人の罪の意識もなく、唯自然にそうしていたのであった。
 後年、ジイドの著作の中で、アルジェリアの少年達がトカゲをいじめるのを見て、これを救い出し、何かひどくヒューマニズムを振りかざしているのを読んだが、私にはジイドが仰山で偽善的にさえ思えてならなかった。
 其の頃から、私は漠然とではあるが、何か西欧的な教養と、所謂都会文化人の美感と云うものを懐疑的に見る習慣がついて了った。一方、年老いた父は微醺をおびながら、少年の私に老子をたたきこむのであった。
 此の様な歴史が、私の生活美感の尺度となっているのであるとすれば、後は推して知るべしである。
 
 
 私は朝床を離れると、先ず手洗に行く習慣である。すると、手洗の中で、近所のラジオから流れる全く予期もしない音楽、時に「荘厳なるミサ」や「アレルヤ」を耳にしなくてはならない。すると、音楽の力で恰も寺院の中に居るものの如く、時代に荘重な面持ちとなるのであるが、下半身は依然として余り荘厳とは云い難いポーズを持続しなくてはならない。そこで、この不調和について考えるのであるが、自分の行為は神の摂理にかなったものであるから誤りのある筈もなく、相手が悪いに違いない。特殊な条件で聴かる可き音楽を、無神経に流すラジオが天の理に背くものであると云う結論に一応到達して手洗を出るのであるが、それでも何やら虫がおさまらず、家妻にでも一矢報いんかと考えていると、今度は「セレナーデ」が聴こえて来ると云う風で、全く手も足も出ない。
 此の様に毎朝起きたトタンに簡単に頸と胴とを切り離されて了うのである。
 この不機嫌にされた男が、次に顔を洗う訳であるが、現代の水道はどうも不必要な程激しい騒々しい音で出てくるのが気に入らぬし、其の水は魚が死ぬ程強力な薬品を含んでいて、味は極めて不味い。魚類に致命的で、人類には無害と云うことが果して有り得るだろうか、又其の実験年数は何年にもならぬではないか、紀元前二千年の、最も人命が安価だった時代のモヘンジョ・ダロの水道だってこんなことは無かったに違いないなぞと思いめぐらすと、腹が立つので、私の家は水道と云うものを引いていない。
 井戸水を汲むと云う労働は楽しくもあり、又詩的でもある。第一、人間が勤労の喜びを忘れると碌なことはない。
 これが私の長年の主張であったのだが、今月になって、手伝の子が嫁に行くことになってから、水汲みの労働は詩的であるとしても、如何にも苦しいと云う妻の訴に依って、人力を電気モーターに切り換えた。モーターは生けるものの如く、一定の圧力に達すると自動的に止り、水圧が減ると自然に働き出す。これだと、私の少年の様な機械に対する好みにも適合し、依然井戸の冷水が飲めると云う利点がある。私はこの適当に古典的で、又適当に近代的であるシステムが気に入った。この様にして私の勤労賛美の古典主義は、日に日に都会人的なフェミニスト・ヒューマニズムに食われて行く様である。
次は茶であるが、この熱源には以前からガスを用いている。湯は不味いがフェミニスト風ヒューマニズムの立場から仕方がない。然したまらなくなると、古い露西亜帝政時代の大きなサモワールを用いて、炭火の湯をこころみることにしている。
 温度に依って湯音の変るのも嬉しいが、炭に混った枯葉が思わぬ時に、楓や萩の香りを漂したりするのは捨て難い趣である。湯の味については語るに及ばぬ。又、時には炭にかかった猫の小便の臭に悩まされることもあるが、兎に角変化があってよろしい。
 次は食事であるが、腹八分目は大病のもとと云うのが私の養生訓であって、原始的な食物を出来るだけ大量にとって書斎に籠るのである。ここでは、楽譜と云うへんてこな記号と外国の文字とを書き続け又ピアノと云う楽器の前に向って見たりするのである。
 がしばらくすると、何やら自分の国籍が不明になって来るような妙な不安に襲われはじめるのである。そこで私はこの不安から遁れる為めに、私達の仲間であるアジアの古代楽器と原始楽器を身辺に置くことを思いついた。
 今では、奇妙な楽器が四十種程に達したので、其の時に応じて、好みに合ったものを選んで、側に置くことにしている。楽器には、かつて其れを愛用した人達の霊がのりうつって、夫々一種の鬼気を漂わし、絶えず私を見守っている。
 私が何かを弾きでもすると「それがアジアの音楽だと云うのか」「それの何処が美しいと云うのか」なぞと囁き、殊にギリヤーク族のトンクルと云う楽器なぞは、馬の尾の毛で出来た蚊の様な音より出ぬ一絃琴に過ぎぬのであるが、これはいつも「安手の近代主義はどうもね」と囁くのである。
 
 
 此等の原始楽器との対話に私の生活が始るのであるが、全般にこの種の楽器は安手の文化臭を甚だ嫌っているようである。
 
 
 又、無駄を省いて何んとか合理的な生活にしたいものだ、なぞと考えていると「無駄をすることは生きることに積極的になることなのだ」と囁いたり、果敢ない徒労に落胆していると「果敢ないことに情熱を感じ得るのは人類の光栄である」又、「其れ以外に生活の美があるか」なぞと囁くのである。
 
 世界 No.96, p.52-54. 1953. 岩波書店  東京