・ここでは、伊福部先生が、毎日新聞1957年2月8日の夕刊にに寄せた文書を伊福部家の御諒解の許、全文掲載致します。
・短文ではありますが、現代の音楽に対する考え方について伊福部先生らしい考えが述べられた、先生一流の楽しい文書です。御高覧下さい。
・原文は縦書きですが、横書きに改めさせて頂くと同時に体裁を改めさせて頂きました。
律 動
伊福部昭
音楽は旋律と和音と律動の三つの要素からできていると考えられ、旋律は情緒を、和音は思想を、そして律動は筋肉的な共感をよび起すものと説明されている。したがって、純粋音楽の中ではきわだった律動は精神と関連を持たない下等なものとされている。
しかし、情緒と関連があると考えられる旋律は、実際にはある種のコン虫にも反応を示す。コン虫を節足動物と見なせば、いまから四億六千万年前の古生代カンブリア紀にはすでに旋律は理解されていたことになる。また思想と関連があると説明されている和音も、これまたコン虫が反応するのである。簡単に実験するのには、軒先などの蚊(か)の群れに近づいて、その羽音とハーモニイする音を弱く鼻声でうたうと蚊は群れ集まってくる。すると和音もまたすでに四億六千万年前から生物によって理解されていたことになる。さらにこの旋律と和音の組合わされた静かな音楽を乳牛に聴かせると、乳量が急に増してくる。牛が感動するのである。してみると、いわゆる上品と目される種類の音楽は、哺乳類の発生、いまから一億六千万年前の中生代ジュラ紀にはすでに深く理解することができたはずである。
一方、きわめて下等な要素と考えられ、現在実際に未開の人種のきわだった特色である律動は、意外にも他の動物には全く共感を与え得ない。どうも律動を律動として理解しうるのは超動物の人類だけらしい。してみると、宇宙時代にはいり、いよいよ超動物としてのほこりをもつ人類は、今後、他の動物にも理解できるような下級な要素を用いることをいさぎよしとせず、結局、音楽は律動だけになるであろう。
現在、ジャズなどで盛んに用いられているボンゴという太鼓は、すぐれた律動楽器であるが、キューバの政府は一九二八年三月三日付の法令をもってこれの一切の使用を禁止した。その理由はともかくとして、このような政府のある間は、従来の形の音楽も安泰であるかもしれない。
(作曲家)
1957.2.8 毎日新聞 夕刊