・ここでは、伊福部先生が、1966年(昭和41年)11月3日(木)の北海道新聞夕刊に寄稿した「地方的環境と文化」を伊福部家の御諒解を頂いた上で全文掲載致します。
・伊福部先生が生前仰っていた、「ナショナルを経てインターナショナルへ」の考えを出生地北海道と絡めて披瀝されております。御高覧下さい。
・猶、伊福部先生は、末尾の肩書きにあります「北海道新聞文化賞」について「交響譚詩その他の作曲」の業績により、1947年第1回の社会文化賞部門で受賞しております。
・この文書を初めとした、伊福部先生の音楽観は、音楽概論の不朽の名著である「音楽入門」に集約されております。
・猶、原文は縦書きでしたので横書きに改めました。
地方的環境と文化
伊福部昭
ある一つの文化には、必ずその民族の伝統にともなった特有な個性があるはずである、という考えは現代では常識となっているが、このように、民族の伝統を重視する文化観が現われるのは、あまり古いことではなく、ナポレオンが統一世界国家を夢みたことが一つの動機となり、この試みが失敗に帰した時期を境として、逆に急激におこったものと考えられている。
もちろん、歴史以前からそれぞれの種族の風俗習慣などがはなはだ異なるものであるということは気づかれており、時に、互いに強力な影響を与え合った例も少なくはないが、文化を民族の個性であるとか、また風土、環境などの強い規制を受けるものであるというような自意識は、まだほとんどなかった。
さらに、同一の民族間にあっても、風土、環境を異にする場合は、その文化にもなんらかの差異が現われるであろう、などと考えるようになるのは、さらに時代が下ってからのことである。
この後者の立ち場からみる時、その文化を地方文化と呼ぶが、この語には文化の中心にたいする地方的な支流というような響きが隠されているので、むしろ地域文化とでも呼ぶ方が妥当ではないかと思っている。
いうまでもなく、一方には、近代文化はこの種のわずかな地域差にはこだわるべきでないとする見解がある。
いずれをとるべきであろうか。
つぎに私はこの問題に関連して環境と美感という、きわめて限られた点に触れてみようと思う。われわれは、えてして自己に身近なものよりも、時間的に、あるいは空間的に遠く離れたものに心ひかれ、そこに美を認めるという面をもつものである。このことはもちろんそれ自体としては、決して悪いことではないが、このような憧憬(どうけい)と一種の逃避を母体とするかのごとき美感にのみ依存することはいささか問題があろう。
ムーアは『芸術が最後に世界的な訴えをもつためには、はじめ地方的でなくてはならない』と述べでいる。
このことばは、ある作品や思考が真に広い全人類的な訴えをもつためには、一見逆説のようであるが、まず第一に自己に身近な地域的なもの、卑近なものに美を見いだし、感動し得るような自主的なすなおな美感によらなくてはならないことを指摘しているのである。
事実、憧憬と逃避に培(つちか)われ、すでに吟味され、洗練された美以外これを認めようとしない美感は、一見きわめて教養高くまた安全ではあるが、そのような脆弱(ぜいじゃく)な美感からは何物も生まれはしない。またこの自己の生活と環境に基盤をもたない美感は、度合いが進むにつれて、身近なすべてを価値低いものとみなし、また時には、まったく否定にさえ傾くものである。これは象徴的にも、また具体的な形としても現われる。
先年、フォークナーは、日本の作家は故郷に年老いた母のいることも念頭になく、自己の周囲の平俗ないっさいのものを否定し、また隔絶し、あたかも自分一人が天から降ったものでもあるかのようにみなしていると見受けられる向きもあるが、このような見地からは、断じて真の芸術は生まれない-という意味のことを力説した。同感である。
自分の置かれた環境、あるいは風土等を否定し、純粋に高度なもののみをねらうことは、一見芸術的純度が高いかのように見えはするが、実際には何物も創(つく)り出すことはできないのである。
私が北海道に生活していた間、自分にとって何が風土的な環境なのであるかは、あまり明瞭(めいりょう)ではなかった。しかし、昨今は、ある風土の中で長く暮らすということがその人間の美感にとって、どれほど決定的な力をもち、また宿命のごときものであるかを身にしみて感じている。
以上のように、自分の置かれた環境に共感と愛情をもつことは、きわめて望ましいことではあるが、無批判にこれに耽溺(たんでき)することにもまた、別な危険がある。すなわち、地域愛の行き過ぎは、時にいたずらに排他的となり、特異性のみを強調し、奇形的な美感に流れる恐れなしとしないからである。
文化の発展の目標は、いうまでもなく、その個性や地方色の表出にあるのではなく、それ自体の完成にある。また、さらに厳密にいうならば、文化あるいは芸術の完成とは個性の脱却にほかならない。
したがって私は、あらゆる文化はその中央であると地方であるとを問わず、その民族、または地域の特殊牲を通過してのち、共通な人間性に到達すべきものであると考えている。
このような通過すべき特殊性としてみる時、北海道は限りない魅力を備えているように思われる。私はこのような北海道に生まれ育ったことを、光栄ある宿命であると考えている。
(作曲家=第一回北海道新聞文化賞受賞)
1966.11.3 北海道新聞 夕刊