小杉作品発見に対する御言葉

今井重幸氏より

小杉太一郎の5作品

 

 此の度、出口寛泰君から連絡があり、小生の親友であり、伊福部昭・古弟子会の仲間であり、又、中学・高校時代の先輩でもあった、通称ターチャン、小杉太一郎氏の純音楽作品5点を発見したとの報に接し、大変嬉しいと同時に、懐かしく暫し感慨に耽りました。

 

 思い起こすと、小杉太一郎、池野成と小生は、期せずして同じく作曲を目指し、伊福部昭先生に師事したが、同時に旧制都立青山中学・青山高校の同窓仲間でもあった。

 我々は互いの家を往き来しながら、肝胆相照らし喧喧諤諤とした同志であり良き仲間であった。そして、共に師匠の伊福部邸に足繁く通ったものです。

 

 小杉太一郎は恰幅の良い体型に似合わず、至極柔和で、古弟子仲間にも大変気遣いのある純粋で優しい人でした。

 又、小杉太一郎の父上は、戦前は日本映画の名優であり、戦後は監督としても大変活躍した「小杉勇」である。

 長男・太一郎は父君の影響もあり、映画と映画音楽に大変興味が旺盛になり、1955年内田吐夢監督作品「血槍富士」の音楽の成功以後、映画の仕事に忙殺されるようになり、元来仕事に真面目な彼は、忙し過ぎたのか、49歳の若さで早世してしまった。

 池野と小生は、長く生きてくれれば、純音楽作品も沢山残せたのに、と2人で残念がったものです。

 

 さて、此の度、出口寛泰君の飽くなき情熱と小杉太一郎の長男・隆一郎氏の御努力に依って遺品の中よりその5作品が発見されたそうです。

 此の事は、小生にとって、一昨年亡くなった池野成と共に、誠に嬉しい事です。作品内容は、1952年の毎日音楽コンクールで室内楽部門一位に輝いた「六つの管楽器のための協奏曲」他4曲の作品です。

 

 此の5作品発見の立役者である出口寛泰君に就いて触れて置きますと、出口君は十代の頃からの熱烈な伊福部音楽ファンである。

 三重県の桑名市に住んで居るにも拘らず、定期的に上京しては伊福部音楽及びそのコンサートに足繁く通い、伊福部先生を始めとして、その古弟子に至る迄、取材を続けて来た青年である。

 漫画家水木しげるの下に勤めていた一時期は、小生の近くに下宿した彼に、楽典や音楽論の基礎等を教えたりもしました。

その後、池野成の取材が縁で池野成の映画音楽のCD化に挑み、4枚組の全集を企画・プロデュースし、発売に成功してしまう程の情熱を持った青年である。

 

 ところで発見された小杉太一郎の純音楽5作品を、又もやCD化し、その個展のコンサートを迄、計画して居るとの事、遺品に埋もれて居た貴重な作品たちを世に問うと云う活動をする、出口君の意欲と情熱には敬服してしまう。

 小杉太一郎御遺族の了解を得たとの事なので、此の出口君の企画・プロデュースには、色々な面で協力し、出口君の企画とプロデュースの成功を祈る次第です。

 

今井重幸(伊福部昭古弟子会代表/作曲家)

伊福部極氏より

次なる熱意に敬意

 

 出口寛泰さんが、私の父のお弟子さんの一人であった池野成さんの楽曲の発掘、発表を手がけられ「池野成の映画音楽」という大変に立派なCDを企画・制作をされました。これに引き続き、これまた父のお弟子さんの一人で、大変に有能で嘱望されかつ多くの仕事をされていた最中、若くして亡くなられてしまった小杉太一郎さんの作品を探し出し、世に再び送り出すと言う熱心な研究に取り掛かり行動を起こし始めました。

 

 まず、ご長男の小杉隆一郎さんの下へ連絡を取り、いろいろ話をお聞きし、「池野成の映画音楽」CDの話をされたそうです。そこで、隆一郎さんがもう一度楽譜を捜して見ましょうと快諾してくださり、今回の小杉家に眠り続けていた楽譜の発見につながり、出口さんの整理、研究、演奏へ向けての第一歩が踏み出されたわけです。

 

 小杉太一郎さんは当家にとりましても絶対に忘れる事ができない方であります。北海道から出てきて、余り人付き合いが上手ではなかった父は、東京に知り合いも少なく冠婚葬祭に際しては池野成さんと小杉太一郎さんのお二人に、親戚代わりを務めて頂く程で、何か思い出を書いて欲しいと出口さんから頼まれても何を書いたらよいのだろう?と困るほど沢山であります。一言で言えば、もうこの人生で出会うことは無いと思うほど、温厚、勉強熱心、暖かい心の持ち主でありました。

 

 楽譜に関して思い出深い話がありまして何か今回の出口さんの行動と不思議と繋がるのではと思われてならない事があります。それは、1983年頃に父がSymphonic Fantasia(SF交響ファンタジー)の依頼を受け、映画上映当時の楽譜を探し出す作業を、池野成さん、原田甫さん、東京音楽大学の永瀬博彦さん3名のお手伝いを得て、楽しそうな笑い声をさせながらしておりました。楽譜は丁度私が仕事場としている隣のスチール箪笥に置かれており、必然的に声が聞こえてくる状況にありました。しかし、それが止みなにやらタバコを燻らせ話し込んでいるので、どうしたの?と聞いたところ父が、山のような楽譜を前に「ターちゃん(小杉さんは誰からもこのように親しみを持って呼ばれておりました)の筆跡の楽譜も出てきたんだよ」と言い、池野、原田のお二人も「そうなんですよ」と言っておられました。映画界華やかな時には、大袈裟に言えば毎回の様に泊り込みで手伝って頂いておりましたので「きっと小杉さんもここへ手伝いにやってきたんだよ」という話をしていたという訳です。

 

 当時は母もまだ存命で大変に元気であり「えっ!!ターちゃんの楽譜が出てきたの」と大喜びで、ターちゃんも来てくれているのだからと張り切って夕食の準備を始めたのを鮮やかに記憶しています。お手伝いに来てくださったお三方と母も加わり何時ものように夕食とビール、酒となり、小杉さんの話や、当時の録音に追われた日々などの思い出話となりました。その同じ場所に、昨年の秋の一日小杉隆一郎さんが、出口さんへ楽譜のコピーを渡す為にいらして下さった日がありました。その日は、隆一郎さんの来宅を待ちながら、たまたまその部屋にあった父の古い未整理の楽譜類を出口さんらが眺めておられまして、その中の一つを見て、隆一郎さんが「これは父の筆跡かな?」と笑い始めましたので、その場に居た全員でお持ちいただいた楽譜のコピーと見比べました。更には隆一郎さんの、これは父の筆跡に間違いない!!と言う言葉を聞くに至りました。この言葉を聞いて、何か妙に嬉しくなったのを覚えております。

 

 どうやら入っていた他の楽譜から推測すると時代的に、SF交響ファンタジー作曲の為の楽譜探しの時に見てしんみりしていたのは、父の下で手伝ってくださっていた小杉太一郎筆跡譜のこれらではないのだろうか?と直感、想像した次第です。

 

 これらの楽譜を含め小杉・池野・原田氏らの古くからの盟友でもあり同じく伊福部昭古弟子会の代表である今井重幸さんが今回発見された小杉太一郎楽譜と共に目を通してくださり、参考意見、アドバイスを出口さんへしてくださる事を快諾して下さっており、期待が大いに膨らんでおります。出口さんの次なる活動に感謝し、今回も大いに楽しみにいたしております。

 

伊福部極(伊福部昭・長男)