雑司が谷の伊福部昭/第四回;酒にまつわる話②
伊福部ファンの一人で、米国からデボラ・ミンキンというリュート奏者で日本に10年程滞在し、伊福部とも親交を持ち、伊福部も彼女のために曲を書いたことのある小柄で美しい女性がいた。伊福部はそのミンキンを寿司屋に連れて行ったことがあって、彼女はかなりの日本酒通で日本酒の銘柄を指定して飲むほどの日本酒好きであった。ところがその時の会計はかなりの額であったらしく、伊福部は「あの寿司屋は外国人女性と一緒だと、いつもより高くなるようですね」とどうやらその時は寿司屋にかなりぼられてしまったようだった。
酒の種類は多種多様で、ウイスキーなら本場のスコッチと米国のバーボンが有名だが、ブランデーはフランス国内で同じぶどうを原料としながら、コニャック地方とそれに隣接するアルマニャックとで、はっきりとした格付けがある。ワインに至ってはヴィンテージの要素も加わり、より多彩である。中国には中国の酒があり、日本には日本の酒がある。酒は土地から生まれるものであり、その土地と切り離すことは出来ない。同様に音楽に地域性(=民族性)があるのも、また、当然ということであって、「作品は民族の特殊性を通過して初めてインターナショナルになり得る」というのが伊福部の持論であった。
チェロの巨匠、ヤーノシュ・シュタルケルが東京音大のマスタークラスの講師として指導に来たことがあった。講座が終わり、控室に戻り、普通ならコーヒーとか紅茶、あるいはミネラルウォーター、ということになるのだが、シュタルケルはその場でなんとウイスキーを所望した。煙草は吸わなかったようだが、仕事の後の一服というのと同じ感覚で、彼にとってはちょっとした一杯だったのだろう。東京音大でゲストにウイスキーを出したのは、長い歴史の中でシュタルケルが初めてであったと思う。
伊福部の書斎にもカミユやヘネシーなど上質のコニャックが棚に置かれていることがあって、私などにも「ちょっと味見してみますか?」などと、勧めてくれたことがあったが、伊福部も本来の自分に戻って、自由な時間にゆっくりくつろいで飲む時には自然に近い酒、つまり日本酒であり、ワインとなるようであった。カクテルはベースとなるスピリッツに、リキュールなどを加え、それを混ぜ合わせてしまうことで国籍が分からなくなる。伊福部も「コスモポリタンとインターナショナルとは違う」と言って、そんなカクテルを亜流と見なしていた。
演奏会に出かける時は、その前に蕎麦屋に立ち寄り、日本酒を少々ということもあった。今でこそコンサートホールでワインなどが飲めるようになったが、ホールでのアルコールの提供は、サントリーホールが開館した86年秋以降のことで、今では都心の大抵のホールにドリンクスタンドが設けられるようになったが、元々、音楽は教養や勉強のためにあるのではなく、コンサートホールは鑑賞教室でも、教会でもないので、そうした意味でも、演奏会場でのアルコールの提供は日本の音楽界においても、エポックであった筈だ。
ゴジラは米国でもかなり有名で、ミンキンの母親はゴジラファンであったのだそうだ。そのゴジラの鳴声について、2008年1月、民放テレビ局から伊福部の命日(2月8日)に放送する番組制作のための取材があった。ゴジラの鳴声は伊福部がつくったというのが伝説化していて、かつて伊福部も「本来爬虫類は音声を発する器官を持たないので鳴かないのだ」と言っていたが、映画ということもあり、伊福部もゴジラの鳴声づくりに協力した。伊福部は「コントラバスの絃を駒からはずし、松脂を塗った革手袋でエンドピンから逆方向に絃を強く引っ張って音を出し、それを録音したテープを逆回転させたり、回転を落としたりして‥」とかつて話していた。取材ではその辺りのことを話してもらいたいとのことで、コントラバスの学生に協力してもらい、音大の練習室で実際にそのことをやって見せることになった。楽器がコントラバスということで低いゴジラの雄叫びのような、それこそすごい音がするのでは、と期待してしまうのであるが、絃に弓を通常の奏法として直角に当てて擦るのではないので、松脂を塗って摩擦力を高めたとは言え、革手袋で絃をつかんで絃に沿って水平に引っ張っても絃そのものは振動することはない。つまり絃の表面が擦れる音がするだけであるのだが、それでも、電気的に加工すればそのような音に近づくのかも知れないということで、取材は終わった。私が想像するところ、実際は色々と試した中にはそんなこともあった、あるいは様々な音を合成してつくる際のひとつの素材として使った、というようなことではなかったのか。「コントラバスの絃をはずし‥」というのは伊福部ゴジラについて語る上ではかなり面白い話だが、それだけに、もしかしたら、聞き手を楽しませる伊福部独特のユーモアも含まれていたのかも知れない。
映画が有名になり、ゴジラがひとり歩きを始め、ゴジラの話題があれこれ取り沙汰され、種々尋ねられることも多くなり、コントラバスの話をするとファンが喜ぶということがあって、ある種のファンサービスという面もあったのではないか。
自著『管絃楽法』のタイトルにも見られるように、伊福部は弓偏の<弦>ではなく、糸偏の<絃>を用いた。「楽器はその弓が鳴るのではなく、糸が振動して鳴るのだから」と。
日本古来の怪獣に、「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」がある。伊福部の遠い祖先は因幡だが、その隣の出雲神話の話で、伊福部家は実在する人物が7世紀まで遡ることができる古い家系なのであるが、更に遡ると神話時代の始祖は大国主命で、そしてその系統の遡上には八岐大蛇を退治した素戔鳴尊(スサノオノミコト)がいる。かつて伊福部もその素戔鳴尊が主人公の映画『日本誕生』(1959)と『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)の音楽を担当したが、神話の時代とはいえ、自身のはるか遠い祖先の話に音楽を付けることになったというのも何かの因縁だろう。
いうまでもなく八岐大蛇は8つの首を持つ巨大なオロチで、素戔鳴尊がこれを退治するのに酒を用いたというのが面白い。酒を満たした8つの大桶を用意させ、オロチが8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み、酔ってその場で寝てしまうと、その隙に素戔鳴尊が剣を抜いて切りつける。尾を切ると大刀が出てきて、天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上する。これが草薙剣(クサナギノツルギ)で、オロチに酒を飲ませて三種の神器の一つである剣を得たという話だ。
今でも各地の神社の祭礼で、このような国づくり神話が「岩戸開」「大蛇退治」等の演目で、神楽として伝承され奉納されている。
▲秩父郡小鹿野町木魂神社での神楽「岩戸開」、天照大神は子供が演じている。
(2009年5月3日撮影)
『日本誕生』ではこの流れに沿って描かれているのだが、『わんぱく王子の大蛇退治』では主人公のスサノオを王子に、つまり少年に設定したため、相手がオロチとはいえ、退治する手段に酒を用いるというのは、恐らく大人の知恵のように思われてしまうので、まっすぐな少年であるスサノオには酒を使わせず、動画的アクションの正面から戦いを挑む派手な演出に変えたようだ。
日本では大酒飲みのことを「ウワバミのような」という言い方をするが、その本家であるオロチに酒を飲ませるのは、日本の伝統的な発想としては大変ユニークで、面白いことではあるのだが。
▲あるパーティーでの伊福部。
隣席した相手のグラスにロゼワインを丁寧に注いでいる。
以下続